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2019/01/10

[ブログ]「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくす

 

「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくす
                                                 
                               著     矢満田篤二・萬屋郁子
 
 
 
特別養子縁組について色々と調べていると、おそらく誰もが目にするであろう2つのワードがあります。
菊田昇医師と愛知方式
この著書は愛知県の児童相談所において、赤ちゃん縁組を推し進め、愛知方式とよばれる礎を築いた、矢満田篤二さんが書かれた著書になります。
虐待は繰り返される。
もちろん全てがそうではありませんが、愛着障害は二次被害を生みやすいそうです。
産まれてから3歳までに特定の大人に愛され育つ事が、愛着形成が成される為に重要とされています。
最新の研究では特に産まれてから3ヶ月が非常に重要だと考えられているそうです。
児童相談所の古い体質で、とにかく、まずは乳児院への措置と言った考え方が今でも残っている事があるそうです。
(※もちろん愛情を持って子供に向き合っている職員の方が大半だと思いますが。)
一番重要とされている、3ヶ月を施設で過ごす。
職員の方も熱心な方が多いでしょう。
しかし、赤ちゃんが泣いたからといって、全ての赤ちゃんを特定の職員が抱いてあげる事は物理的に無理があります。
こんな話があります。
胎内にいた赤ちゃんは、居心地の良い母のお腹でずっと守られて育ちます。
外界に出て、守られていた胎内から放り出され、常に不安や不快感を感じています。
その不安や不快感から泣いてSOSを発信します。
手段が泣くことしかないわけですから。
その度に抱いてくれる者=親な訳です。
自分の不安や不快感を取り除いてくれる人。
私達は、その頃の記憶なんてありませんが、きっと皆、生きて行くために必死だったんですよね。
こうして繰り返し守られる事で、愛着が形成されていきます。
やはり、施設では理想的な愛着形成は難しいと思います。
日本は先進国の中で児童福祉の考え方、制度が遅れている国だと言われます。
海外の方からは、この施設養育に偏った日本の現状を
<社会的ネグレクト>だとも言われているそうです。
社会的に育児放棄をしていると。
非常にショックな言葉です。
私自身、中学生の時は学校の側に、養護施設があり、そこで暮らすクラスメイトもいました。
そういった施設がある事や、里親、養子縁組などの言葉は知っていても、さほど深く知ろうとは思ってきませんでした。
しかし、我が子との出会いが、児童福祉を考えるきっかけとなりました。
虐待をしてしまう親だけが悪いのか。その親が愛着障害だったとするなら、幼少期に家庭というものを知らずに、その機会を親が、社会が奪ってしまっていなかったか。
予期しない妊娠で悩んでいる女性が生後0日の子を殺めてしまったとして、その赤ちゃんを助ける術はなかったのか。その女性を救う術は日本の社会にはなかったのか。(※そもそも、父親は何をしていたのか)
産んだ母親が責任を持って育てるべきだと言う論理は、誰の為のものか。産んだ母親にその自信がない、その能力がないのなら、愛情あふれる里親、養親の家庭という選択肢もあるのではないか。赤ちゃんは、どちらが良いかを選択できないのだから、大人が真剣に考え、子供の権利を、子供の幸福の為に、代弁しなければいけないのではないか。
様々な問題は複雑に絡み合い、すぐには解決しないと思いますが、少しずつでも子供の為に良い方向へと変わっていく事を願うばかりです。
その為に、私達andfamilyが出来ることを考えたいと思っています。
最後に一言だけ。
子供を愛し育てる上で、血の繋がりは関係ない。
これだけは断言します。
&family..
千田真司

 

2018/12/05

[雑誌]12月7日 月刊「文藝春秋」

12月7日発売
月刊「文藝春秋」1月号の巻頭随筆に
「特別養子縁組で子を授かりました」
が掲載されます。

2018/11/21

問い合わせについて

&familyホームページをご覧いただきありがとうございます。

日々たくさんの応援の言葉を頂き、嬉しく、励みになっております。

 

本ホームページ「問い合わせ」についてご理解いただきたいことがございます。

本ホームページ「問い合わせ」は取材依頼、講演依頼等の「依頼」の為の窓口として

設置しております。

日々お寄せいただく、ご質問、ご相談など全ての問い合わせにはお答えできず、心苦しい限りですが、ご理解いただけたら幸いでございます。

内容として大多数は、応援のメッセージ、あるいは特別養子縁組を検討しているがどのように情報を集めたら良いか?という事です。

色々な媒体で、お話させていただいている内容ですが、私達はインターネットで特別養子縁組を支援している団体を検索して、各団体が開催しているワークショップ、セミナーなどから、直近のものに申し込みをし、まずは話を聞くことから始めました。

想像しているだけでは、前に進めないので、まずは一歩踏み出すことが肝心かと思います。

そこで知った特別養子縁組の実情を持ち帰り、さらに夫婦で話をしました。

最終的に私達は、ストークサポートという団体に登録をしましたが、団体にもそれぞれ個性があるので、ワークに参加したり、ホームページを隅々まで読んだりして情報を集めるのが良いと思います。

私達から、こちらへどうぞ!というような紹介はしていませんので、ご自身でフィーリングの合う団体を探されるのが何より良いかと思います。

登録をして、いわゆる待機の状態になり、その後、団体から委託の連絡が入りますが、その後はきっと、想像以上の幸せなバタバタが続きます。

手続きなどが大変と思うかもしれませんが、自分で産んでも、きっと様々な手続きは必要で、そこは追われるようにこなしているうちに、気づけば落ち着いている。といった感じなので、ご心配なさらず。

とはいえ、やはり子育ては大変ですし、簡単な決断ではないと思います。

とにかく夫婦で話し合い、家族とも相談する事をオススメします。

きっと自分たちの親は、子供(私達)の幸せを思って、簡単に頷いてくれないかもしれません。

雑誌VERYの取材(家族の言葉)の現場で私の父から言われた言葉ですが、「息子夫婦が今、楽しそうに生活しているのを見ていて、安心した。」と。

やはり父や母はどんな道を選ぼうとも、子供が幸せでいる事を願っているんだなと。

私達夫婦が、この子の幸せを願うように。

父になり、自分の父の気持ちが良く分かるようになりました。

これも我が子が私達を親にしてくれたおかげです。

 

 

今の所は夫婦それぞれの仕事の合間で&familyの活動を行っている為、ゆっくりではありますが&familyを立ち上げた意義を実現させて行きたいと思っております。

その活動によって、同じような悩みを持った方々の力になれたら、嬉しく思います。

 

2018/10/29

[ブログ]andfamily repo vol.2

[and family repo vol.2]

 

取材協力者:養子当事者Bさん

 

今回、第二回の[and family repo]に協力いただいたのは養子当事者のBさん。

自分が養子だと知ったのは18歳の頃。

その事実にどのように向き合い、受け入れたのか、Bさんの半生を振り返りながら

語っていただいた。

 

Bさんが生まれたのは昭和49年。

前年の昭和48年には菊田医師による「赤ちゃんあっせん事件」が起きていた。

法律に違反しながらも100名以上の乳児の命を守ったことへの賛同の声が巻き起こり

社会的養護の下に置かれる子どもが社会的に認知され、要望に応える法的制度が必要だという機運が高まっていた。

 

ーーーーまずは、生い立ちからお話頂けますか。

 

Bさん

「生後3ヶ月で乳児院に入りました。今の母(養親)の元に来たのは2歳頃だったみたいです。養子だということは知らずに暮らしていました。」

 

ーーーー自分が養子だという事は、どうやって知ったんですか。

 

Bさん

「知ったのは18歳の時です。進学先の看護学校に提出するための書類に戸籍謄本が必要になったのですが、母がなかなか用意してくれなかったんです。いつもはなんでも早めに準備してくれる母なので、なんでだろう。と不思議には思っていたのですが。提出期限の前日の夜、両親に呼ばれ戸籍謄本を渡されました。両親もうまく説明が出来ない様子でした。見慣れない言葉の並ぶ戸籍謄本を見ても何が起きているのか理解ができませんでした。」

 

ーーーーその時の気持ちは、もちろん大きなショックだったとは思いますが、どんな想いが心の中を占めていましたか。

 

Bさん

「まずショックだったのは、自分は知らなかった事実を学校の先生や特定の大人は知っていたという事。私を守る為だったとは思いますが、裏切られたような気持ちでした。」

 

ーーーートラブルが起きないように見守ってもらう為に先生方には伝えておくというのはよく聞きますよね。他にはどんな想いがありましたか。

 

Bさん

「自分は誰なのかという気持ち。どうやって産まれてきたのか、なぜ産まれてきたのか。言い表せない孤独感を強く感じました。それで、産んでくれた女性に会いたいと思いました。」

 

ーーーーお会いになられたんですか。

 

Bさん

「養子縁組をした時、相続権などの取り決めと一緒に、会わないという約束もしていたようなのですが、会えました。」

 

ーーーー会って、心に変化はありましたか。

 

Bさん

「特には。ただ、へその緒を持ってきてくれたので持ち帰りました。待ち合わせの場所がすごい人だかりだったのですが、その方を見た瞬間、母(産みの)だってわかったのは不思議な感覚でした。それでも、私の母は育ててくれた母なのでそこに気持ちの変化はありませんでした。」

 

ーーーーその後、進学して、気持ちはどうやって折り合いをつけていたんですか。

 

Bさん

「進学後、勉強したことが明確にあったので、そこに救われました。ショックが紛れるので。折り合いというか、自分の中で納得。許せたのは結婚して、子どもを出産した時でした。養子と知ってから20年経っていました。」

 

ーーーーそうなんですね。出産して許せた。というのは、なぜだか今、私もすごく腑に落ちまし

    た。やはり妊娠、出産、子どもってすごいですね。

 

Bさん

「そうですね。こんな風に痛みに耐えて産んでくれたんだなって。産んでくれてありがとう。手放してくれてありがとう。って。今の母への感謝はもちろん、産んでくれた母に対しても大きな感謝を感じれるようになりました。それまでは何かうまくいかない事があると、’どうせ私なんて’というネガティブな気持ちが、度々湧いてくるんですよね。普段は養子だということを意識しないほどに納得できても、子どもを生むまではやっぱりそういう癒えていない部分が残っていました。以前、熊本の赤ちゃんポストの関係者の方に、私の経験をお話させていただいた事があり、出産を経て全てを許せたという話をした時に、その方が、’負の連鎖を断ち切れましたね’と仰てくださったんです。この言葉が私の中でストンと腑に落ちて。」

 

ーーーー負の連鎖ですか。虐待が繰り返されることとか、養育環境が、その先の人生に大きく影響するとか。そんなことを連想させる言葉ですね。ご自身は18歳で養子だという事実を知らされたわけですが、幼少期からの真実告知をどう思いますか。

 

Bさん

「まず、隠し続けるというのはあり得ないと思います。出自を知る権利もありますし、その事実を隠すという事は生まれてきた事を否定してしまうような事なので。母は、私が結婚する時に話すつもりでいたようです。母なりに子を思って考えてくれていたのだとは思いますが、やはり幼少期から伝える事で、少しずつ理解していけるので衝撃も少ないのかなとも思いますし、何よりも隠されていたとか、裏切られてた。と思わなくて済みますよね。私の場合、知った後に消化するまでに長く時間が必要だったので、その時間が短いほうが良いですよね。」

 

ーーーーなるほど。私自身もとても参考になるご意見ありがとうございます。最後に、話は冒頭に戻ってしまうんですが、生後3ヶ月で入った乳児院ですが、そちらには行かれたりしたんですか。

 

Bさん

「その乳児院は見つからなかったんです。今はもう無くなっているのかもしれません。」

 

ーーーーそうすると、ご両親のもとに来る前の記録や写真は何もないんですか。

 

Bさん

「なにもないですね。」

 

ーーーーそれって、とても辛い事ですよね。

 

Bさん

「そうですね。きっと職員の方に愛情を持って育ててもらっていたと思うのですが、どんな方に抱か れて、どんな風に育ったのか、どんな赤ちゃんだったのか、今となってはどうやっても知る事ができないですから。」

    

ーーーー先ほど、出自を知る権利の話も出ましたが、自分の生い立ちを知る事ができないという事が本人にとって、どれだけ辛い事なのかという事を痛感します。出自を隠すという事はもっての外ですね。お辛いお話もたくさんお話し頂きまして、本当にありがとうございました。

 

 

 

今回、養子ご本人に直接お話を伺う機会を得られました。

私自身、父となった今、今回の取材を通じて、真実告知、出自を知る権利の重要性を改めて感じる事ができましたし、リアルケースとして、そこに温度の残る体験を感じられた貴重な時間でした。

 

負の連鎖を断ち切る

 

今日本の現状として、多くの子どもが、社会の事情、大人の事情によってその’負の連鎖’の中から抜け出せずにいます。

子どもは、その存在自体がポジティブで、ありきたりな言葉ですが本当に’子は宝’’希望’です。

子育てをしていて改めて感じます。

 

子ども達の負の連鎖を断ち切ることは、社会や大人の責任ではないでしょうか。

 &family..

千田真司

2018/09/15

Twitter・ブログ更新

9/3日

日本財団主催のシンポジウムも無事に終わり、Twitter、ブログ更新しております。

どちらも、本HPから見られますので、ぜひご覧ください。

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