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2019/09/24

9/29日 映画「おいしい家族」上映後トークショー

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9/29日 映画「おいしい家族」上映後トークショーに千田真司が出演いたします。

 

 

2019/09/23

[書籍]ちいさな大きなたからもの 出版決定

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‪「ちいさな大きなたからもの」‬

‪著:瀬奈じゅん・千田真司‬

 

‪http://hojosha.co.jp/menu/728713‬

 

‪12月3日発売‬

 

‪結婚〜不妊治療〜特別養子縁組〜子育て。‬

‪今日までの経験を綴った初エッセイ。‬

 

‪私たちの想いを、是非たくさんの方に読んでいただきたいと出版を決意しました。‬

 

‪宜しくお願い致します。‬

 

2019/09/07

[ブログ]ドキュメンタリー映画 隣る人

ドキュメンタリー映画

「隣る人」
2012年公開のドキュメンタリー映画
8年間かけて取材を重ねた結果、映画の中の風景は、カメラがそこに存在しないかと思うような自然体。
だからこそ垣間見える子どもの不安定で脆く、危うい表情が、観てるものの心に訴えかける。
親ってなんだ。
家族ってなんだ。
子どもが一人の人間として、尊重されるべきであるのに、今の日本の児童福祉は、世界から「社会的なネグレクト」だと揶揄されている。
子どもの虐待死も後を絶たない。
この「隣る人」の中で、職員が子どもを抱きしめるシーンが頻繁に出てくる。
極論、、、。
子どもに愛情を伝える時に、余計な事は何もいらない。ただ抱きしめてあげるだけで良い。
この映画の職員のように。
本当に、そうなんじゃないかと、私は思っている。
repoとしては最短文だけど、色々と内容を書いてしまうのも違うかなと思ったり。
私の言葉からではなく、映画を是非観ていただけたらという想いから、ここまでで終わろうと思います。
ただ、何度かこんな話をしていますが、最後に。
今の日本では、養護施設は無くてはならない施設です。
職員の方々の尋常ではない、愛情、葛藤もこの映画から痛いほど伝わります。
全く批判の意はなく、特別養子縁組で安定的な、より家庭的な環境がこういった子どもたちにも届くと良いなと。
改めて強く感じます。
&family..
千田真司

 

2019/09/07

[ブログ]小さき命のために

小さき命のために 一産婦人科医の罪と栄光の軌跡

出雲井 晶

 

先日、「愛知方式」で知られる矢満田さんと、「こうのとりのゆりかご」を創設した蓮田先生にお会いする機会があり、お二人が成してきた偉業とお二人のお人柄に触れることができ、私が密かに抱いていた望みが成就した。

 

実はもう一人、出来ることならお会いしたいのだが、もうお会いすることの叶わない方がいる。

 

菊田昇さん

 

1973年菊田医師赤ちゃん斡旋事件として世間を巻き込んで問題提起をした菊田昇医師。

 

産婦人科医として人工妊娠中絶手術を行う中で葛藤し、悩んだ末に法を犯して100人以上の赤ちゃんを無報酬で斡旋した菊田医師。

当時、妊娠28週までは人工妊娠中絶手術が認められていたが自身の経験から妊娠7ヶ月の胎児は生きて生まれてくるとして妊娠7ヶ月以降の母親を説得し出産してもらい、養親が生んだように偽りの証明書を作成し、実子として託すのである。

 

特別養子縁組のまだない時代に、生みの親と、その子どもと養親を救う最善の手段として10年の間、法を犯し続けた。

 

73年、「男の子の養親を求む」というチラシを見つけた毎日新聞の記者が菊田医師を取材したことが、きっかけとなり全国的に知られる「赤ちゃん斡旋事件」となった。

が、これも菊田医師の目論見の内であった。

 

現行の養子縁組では子棄て、子殺し、中絶は一向になくならない。(昭和54年度の中絶件数は厚生省の統計で約61万、実数は約200万とも言われていた。)

世間を巻き込んで問題提起をし「完全養子縁組」の制度を実現しなければならないと菊田医師は考えていた。

 

 

菊田医師は産婦人科医になる前、キリスト教徒だった。

産婦人科医になること、それは人工妊娠中絶を行うということだ。その行為を主であるイエス・キリストに見られることに耐えられず、聖書を捨てたという。

このことから、菊田医師が心の奥では中絶手術を受け入れられていなかったことが想像できる。

 

法的には妊娠28週までの中絶手術が認められていたが、妊娠7ヶ月と診断し、中絶手術を行ったある時にまさかの出来事が起きた。

母体から引っ張り出した赤ん坊が泣いたのだ。

菊田医師も初めての経験だったらしく、戸惑い悩んだ末にその子を生まれたままの姿で置き去りにした。

母親は中絶を望んでいる。育てられない。誰にも知られず、堕ろすことが出来ればいいと考えているのだから、その子を助ける術がなかったのだろう。

 

翌朝、その子は亡くなっていた。とても冷えた夜だったらしい。

この経験は後の菊田医師にとって、とてつもなく重い十字架となり、原動力にもなった。

 

そして菊田医師は覚悟を決めた。

 

それから10年余り、100人以上の子どもを法を犯しながら、無報酬で斡旋し続けた。

 

初めて、菊田医師のこの善意の犯罪が毎日新聞の一面で取り上げられた1973年から特別養子法が施行される1988年まで、実に15年の歳月を要した。

 

こうして、ひとりの人間が自らの人生を投げうち世論を巻き込んで長い年月をかけて施行された特別養子法。

 

今私が、我が子を抱いているのも、菊田医師を始めとした多くの先人のお陰なのだと心から感謝している。

 

その後、菊田医師の一連の活動は世界で認められ、国連の国際生命尊重会議(東京大会)で第2回の「世界生命賞」を受賞した(第1回オスロ大会ではマザー・テレサが受賞)。その4か月後の1991年8月癌により死去された。

 

 

当時7歳だった自分が、26年後に、菊田医師の影響を多大に受けた特別養子縁組によって父になるとは、当たり前だが思ってもおらず。

今の自分がこうして振り返る事によって、当時の自分と、想像の中の菊田医師との間に、極々細い、でも確かな縁を感じられるような気がしてきます。

 

そう感じたいだけですが。。。

 

こんな風に、今の自分の活動が、いつ、どのように、誰の人生に影響を与えるのか。

 

1人でも多くの子どもが笑顔になれたらと願っています。

 

 

&family..

千田真司

2019/09/03

[ブログ]andfamily repo vol.7

andfamily repo vol.7
これまで、特別養子縁組斡旋団体職員、養子当事者、児童福祉の専門家に取材をさせて頂き、貴重なお話を伺ってまいりました。
今回は家庭で暮らすことのできない子ども達と
日々愛情を持って関わっている乳児院職員の方に取材させて頂く機会を得ました。
andfamilyの取材を受け入れてくださったCさんは、大学で児童福祉を専攻し、実習で乳児保育所を訪れた。
児童福祉に興味を持っていたCさんは、乳児保育所と同じく、乳児を対象としている乳児院との違いを学びたいと考え、実習先に選び、その後もボランティアとして乳児院の子ども達と関わるようになりました。
大学卒業後、ボランティアとして関わってきた乳児院に就職し、およそ10年間、子ども達一人一人の幸せを願い、多くの子ども達と関わってきた。
まず、児童福祉の基本的な情報を。
児童とは基本的に「満18歳に満たないもの」とされていて、その児童に対して行われる福祉を児童福祉といいます。
従来、特別に支援が必要な児童に対する施策を中心に行われてきましたが、近年はすべての家庭において、児童が健全に育てられること、児童を産み育てやすい社会環境を整えることを主とした施策が中心になってきています。
近年、著しく増加している児童虐待への対応も大きな課題の一つになっています。
「すべての児童は、等しくその生活を保障され、愛護されなければならない」という観点から、健やかな成長を保障されない環境にある児童を各児童福祉施設に入所することによりその回復を図る。
この児童福祉施設の一つが乳児院である。
乳児院とは、虐待、婚姻外出産、親の病気、離婚、死別、子ども自身の障がい、などの理由から一時的、又は継続的に入所させ、保護、養育をする施設で、乳児院に入所した児童はその後、両親や親族に引き取られたり、養子縁組等で養親や里親の元に引き取られる。それが困難な場合は大体が2〜3歳を目処にし、小学校に入学するまでに児童養護施設へ措置変更となる。
かつては孤児院と呼ばれ、その名の通り、戦争孤児や、捨て子などが大半だったという。
現在は2〜3000人が乳児院に入所している。
児童養護施設には3〜40000人が入所しており、日本の社会的養護下にある児童は全てを合計すると45000人とも言われている。
この数字は他の先進国からは「社会的なネグレクト」と言われてしまう要因となっている。
国は社会的養護から家庭的養護へとシフトすべきだとして近年大きな動きを見せている。
そんな背景の中、現場で実際に子どもと、その親と関わってきたCさんに入所中の子どもと親の関係性、関わり方を伺った。
さまざまな理由で乳児院に入所する子どもたち。
まず念頭に置かれるのは、子どもの抱える問題の解決だが、基本的には血縁のある親の元で再び生活を共に出来るよう支援をする。(家族の再統合)
が、親によって面会の頻度はさまざまだという。
週に一回、会いに来てくれる親はまだ良い。
月に一回。それ以下のケースも多いという。
もちろん会いに来たくても来られない事情の方もいるとは思うが。
どんな親でも職員の方は全力で、子どもとの関わりをサポートする。
院で共に過ごす親子の限られた時間。
親との距離感を測れず、戸惑う子も少なくないという。
そんな時、職員は子どもに安心して、親と過ごせるように声かけをしたり、そばについたり、適切な距離感を保って見守る。
面会の間、不安からか、ずっと泣いている子もいるのだとか。
やはり、乳児、幼児であれば、血の繋がりよりも、共に過ごす時間や、抱かれ慣れた安心感が重要なのだと改めて感じるし、愛着形成に重要な時期に離れて暮らすことが、その子どもにとってどれだけの損失か、考えさせられるエピソードである。
定期的な面会を経て、親子の関係性に回復の傾向が見られると、施設内の支援ルームという場所で、一日過ごし、問題がなければ、外出、そして外泊と段階を踏んでいく。
何ヶ月も掛けて、親子の関係性に加え、養育環境は整っているかなどの様々な項目において、安心して親元に戻る事が出来るとの各所の判断が出れば、晴れて退所、引き取りとなる。
親元へと退所していく子。
里親、養子縁組で退所していく子。
養護施設へ措置変更となる子。
院を出て行く理由はさまざまあるが、どんな子にもCさんが想う気持ちは一つ。
「幸せになってね。」
多くの子どもたちとの大切な時期を共に過ごす責任。
成長を見守る事が何より大切で尊く、何よりもやりがいに繋がっているのだと話してくれた。
一番嬉しい瞬間は、子どもたちが初めて名前を呼んでくれた時。ぎゅ〜っと抱きしめてくれた時。愛着関係が形成されてきた事を、体感できた時。
そう話すCさんは
「世の中って不公平ですよね。」
と、里親に引き取られた後、その里親から虐待を受け、再度施設入所しなければならなくなった子どもの話を聞かせてくれた。
全ての子どもたちに幸せになってほしいと心から願い、送り出すが、救えない現実がそこにはある。
乳幼児期、それも、出来る限り早い段階での里親や特別養子縁組による、家庭的養護の必要性を感じているとCさんも話してくれた。
子どもにとって何が一番大切なのか。
今一度、声なき声に耳を傾けなければいけない。
&family..
千田真司

 

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